大学院生活を振り返って

 2年間の大学院生としての生活が終わろうとしています。
今日引っ越しの準備を始めました。
2年前越してきたとき以来ずっと開けてなかった書類や手紙類がいっぱい出てきて
2年前の春の自分を思い出していました。

この2年間にタイトルを付けるならば、
「まるっとパラダイムシフト〜人権意識の萌芽〜」、これだわ。


大学院1回生の振り返りは去年の記事に書いたので、
今回はその後、2回生〜現在に至るまでのことを振り返ってみようと思います。

 


新天地といえど、一度季節が巡ると、だんだん勝手がわかってくる。
京都という街の勝手、一人暮らしの勝手、大学院の勝手。
すると今まで余裕がなくて見えなかったことが見えてくる。

それまでは、基礎知識としてのアメリカ史や黒人史などの先行研究をみていたが、
2回生前期が始まり、ようやく、現代アメリカ社会の諸相に目を向けるようになった。
(私の修論では現代の黒人文化を扱うので)
するとほぼ自動的に、現代日本社会の歪みも見えてくるようになる。

さらに、現在2回生、修士課程最終年である。
進路を考え、決断せねばならない。

博士課程に進むか、、?
就職するか、、?
はたまた休学か、、?

いろんな道を思索したが、当時の私がとにかく強く思っていたのは

こんな社会に出たくねえ

これであった。

いや無理、無理すぎる。
今の日本がどういう歴史を経てこの悲惨な状況になったのかということを、
ぼんやりなんとなくわかったつもりでいた状態から、
はっきりと把握するに至ってしまったのだから。

 

この当時(2019年春先)は、怒りと不安の応酬の毎日だった。

こんなクソな社会に出たくないし、
ていうかまずクソな社会をどうにかしたいし、
でも今すぐ目に見える形で行動できないし、
でも世界では毎日クソみたいなことが起きてるし、
それに対する怒りはおさまんないし。

今思えば「頭でっかちですね!」、ちゃんちゃん、だけど、当時は本当に切実にしんどかったのだ、、。
正直今でもこういう気持ちになることはある、全然ある。

 

ところで、その時の研究状況の話をすると、
自分の研究分野に関してやっとほんのり輪郭がはっきりしてきた?かな?
くらいの進捗で、2年間でできるようになりたいと掲げた目標と、
実際に1年でできるようになった成果とのギャップがすごかった。
もう語彙の中で「すごかった」しかヒットしないくらい、すごいギャップだった。

正直全然時間が足りないと思った。
なので、博士課程に進むことも一瞬頭をよぎったが、
アカデミアに身を置けば、ドクターがどれだけシビアな世界に生きているかということは嫌というほどわかる。

私は、「ちがう世界で生きてえ」と思った。

確かに研究生活ほど自由で、知的好奇心の刺激される環境はないが、
私はドクターに進む勇気と気合いを持ち合わせていなかった。

というわけで、あまり大した決意もせず

「どうせいつかすることになるししてみっか」

と、就活を始めてみた。
とは言っても、本当に行きたい企業数社を受けて、
全部ダメだったらひとまずフリーターになろうと思っていた。

結論から言うと、当時の頭でっかちな私には
このときの「就活」という「行動」が功を奏することになる。

わからないならわからないなりにとりあえず動く ≒ もがく

これほど不安なことはないのだが、動かないことの方がかえって不安を増強させるので、
夏〜秋にかけては就活と修論の同時進行というタフな生活を送った。
我ながらよくやったと思う。

もがいてみると、半強制的に具体的な将来のあれこれを考えることになるということがわかり、
これが頭でっかちさんには効いたようで、いくばくかの自信に繋がった。
(「道がないなら作ればいい〜」みたいな曲なかったっけ)

幸い、内定を頂けたので春から晴れて社会人です。
がんばります!!!

 

 

、、、ええ、知ってます、
パラダイムシフト」云々の話はどこへ?
ですよね、わかってます。
ここからが本題(ごめんね)

私は、自分の研究で扱った黒人差別問題を通して、
他の人種への差別や性的マイノリティへの差別など、
様々な人権に関わる問題について考え、学ぶようになった。

私がこの2年間で得たものの中で一番大きいのがこの人権意識だと思っている。
大学院に来なくても時代や社会の流れで自ずと備わったのかもしれないけれど、
差別という人権問題について研究としてディープに考えることができたのは、
自分にとってすごく大きかったなと。

あと、私のジェンダーが女性だというのもよかったのだと思う。
黒人差別問題について思いを馳せるとき、
マイノリティ当事者として「差別」をくらった経験がある、
このことは私にとって、研究をしていく上でかなり重要なことだった。

このような人権意識が芽生えてからは、
目に入るものやそれに対して思うことがガラッと変わった。
それまでは気にならなかったことが目につくようになったり、
それまでスルーしていたことに怒るようになったり。

一番それが顕著に表れたのは、
お笑いを見て笑えなくなったこと。

私は大のお笑い好きで、
小さいときから大量のバラエティやお笑い番組を見て過ごしていたが、
上述したあたりの時期からお笑いを見るのがしんどくなった。

具体的に言うと、

まだある気がするが、こんなところだろうか。
関西地区はテレビをつけたらいつ何時もお笑い芸人が映っているので、
「そういうノリ」がほんとおぉおおに多い。しんどい。

そう、しんどいのだ。
しんどいのだけど、この「気づき」があって、「パラダイムシフト」があって、本当によかったなと思っている。

それはシンプルに、他人の気持ちを考えられるようになったからだ。
いや、もっと正確に言うならば、
「誰かが傷つくかもしれない」という視点を持てたからだろうか。
(ここでの「傷つく」は人権侵害のことを指す。人権問題は快とか不快とかの話ではないので)

また、このパラダイムシフトのおかげで
人間を人間として見て、接する
ということがどういうことかわかったし、より意識的にできるようになった。


こう振り返ってみると、
かなりダイナミックな2年間を経たことに気づく。
過去の自分の言動や行動を呪い、反省しつつ、
これらを踏まえた今後の自分だからこそできることを、しっかりと全うしていきたい。

サバイブするぞーーーー

 


おしまい