I can’t stop lovin’ themselves!! 〜ヒップホップ&アイドルヲタクのBTSとの出会い〜
ついに、出会ってしまった。
「出会うべくして」という言葉は今この時のためにあるんだと思う。
ヒップホップ と アイドル
これらの現象を愛してやまないヨシダアカネが、
逆になぜ今までハマらずにいられたのか不思議になるくらい、
彼ら、そう、BTSの沼に堕ちることは必然だった。
本稿は、近年稀に見る青天の霹靂なるBTSとの出会いと
彼らの持つ魅力、否、沼堕ちポイントについての分析(2021/3/14時点、ヨシダ調べ)を
記録するためのものである。
0.韓国カルチャーへの誘い
まずは私がBTS沼に堕ちるまでの経緯を記しておこうと思う。
去年の秋口だっただろうか、
Twitterにて『青春の記録』という作品を取り上げて
韓国ドラマ、ひいては韓国の文化水準の高さを讃える趣旨のツイートを目にし、
興味をもった私は生まれて初めて韓国ドラマを見ることになる。
結論から言うと大満足。
『青春の記録』を皮切りに、『スタートアップ:夢の扉』『梨泰院クラス』『ロマンスは別冊付録』は読破ならぬ観破、
ほかにも『まぶしくて』『キム秘書はいったい、なぜ?』『それでも僕らは走り続ける』『愛の不時着』『ミセン』などをかじり見している。
以下、私の推察と感想。
韓国ドラマにおける日本の少女漫画的メロドラマの要素はおそらく不可欠で、
そのプロット自体は極めてベタで、もはや様式美にすら感じるくらいなのだが、
登場人物の設定や脚本などに反映された現代のソーシャルイシューへの
意識の高さが作品に深みを持たせ、主題に影響を与えているように思う。
だから、見ていて(悪い意味で)ハラハラもヒヤヒヤもしないし、
いやな気持ちになることがほとんどない。(日本のドラマはめちゃくちゃある)
そして韓国ドラマと同時期くらいに、韓国文学にも手を出し始めた。
フェミニズムに関係があるものからないものまで、
『82年生まれ、キム・ジヨン』『彼女の名前は』『大都会の愛し方』『屋上で会いましょう』などなど。
同じアジア、隣国で起きている事象をこんなにしっかり見たのは初めてで、
多分に刺激を受けた。日本、ほんとうに頑張らなくちゃ。勇気をももらった気がする。
と、このように
韓国に対する溢れんばかりの好奇心と尊敬を持ち始めていた矢先に出会ったのが、
彼ら、BTSである。
1.ヒップホップ偏差値の高さ ~筋金入りの『HIPHOP LOVER』~
BTSがヒップホップ界隈で話題になっている様子は目にしていた。
ユリイカ『K-POPスタディーズ』特集を買って見たら、
決して少なくないヒップホップの識者のみなさんが寄稿されていて、
「みんな通るルートなんだなあ」と共感の嵐で、さながらヘドバンのごとく頷きまくりながら拝読した。
bmr誌の丸屋九兵衛氏は、かなり古参のARMY(BTSのファンの呼称)で
バンタン本人らにもインタビューされていて
そのときに彼らが教えてくれたという「好きなアーティスト」の質問に対する回答に大いにくらった。[1]
SUGA、ボンサグとThree 6 Mafiaって…ジミンちゃん、213って…
もうこの時点で心わし掴み、心の中で大号泣(胸がいっぱいすぎて)である。
ほかにも、グクがMigosの『Walk It Like It』を口ずさんでいたり、
みんなBruno Marsの『Finesse』完コピだったり、
テテのソロ曲『Singularity』がEric BenétとD'Angeloのあいのこみたいだったり。
(これ、パフォーマンスも最高で、ライブのときアクセサリーのチャリチャリ音をマイクが拾ってるのが異次元のエロさでした、伝われ)
聞くところによると、そもそも彼らは「ヒップホップグループ」として集成されたのだとか。
所属プロダクションや育成方法こそK-POPアイドルのそれであるとはいえ、
もとよりヒップホップへの愛とリスペクトがある少年たちなのだ。
(どんなもんよ?という方は『HIPHOP LOVER』(2014)を聴いてみてください)
まずグループ名のコンセプトそのものがヒップホップなのである。
BTSの名前で活動する前は「防弾少年団」というグループ名で、
『10代・20代に向けられる社会的偏見や抑圧を防ぎ、自分たちの音楽を守り抜く[2]
という意味が込められているそう。
カウンターカルチャー、ユースカルチャーとしてのヒップホップの側面を上手く生かしていると思う。
そしてそれらはもちろん作品にも現れていて、
たとえば『Run』(2015)のMVなんかはGKMC時代のKendrick Lamarを想起させる。
ラマーがそうであるように、彼らもまた内省と自分語り、ヴァルネラビリティの露呈と自己愛の人たちなのである。
うわあ、書いてて泣きそう。まさかラマーとBTSの共通点について書くことになるとは…。
2.アイドルを再定義したBTS ~ジャニーズとの比較を通して~
さあ、次は「アイドル」としての彼らの姿に目を向けてみよう。
まず前提として、
「プロデュースされる」という客体でありながら
自己表現という意味での「セルフプロデュース」を同時に行う主体でもあるため、
それらのせめぎあいや化学反応が如実に作品に現れるのが
アイドルのおもしろいところだと私は思っている。
私は日本のアイドル(ジャニーズ、ハロプロ)を長らく愛好してきたため、
自分の中の「アイドル像」というものがしっかりある方なのだが、
BTSはそれをも揺るがしてきた。最高だ。
『IDOL』(2018)内でしょっぱなRMが
「You can call me artist, you can call me idol」
と言っているが、彼らは「アーティスト」なのか、それとも「アイドル」なのか。
youtu.be
答えは「どちらでもある」だ。
BTSは楽曲制作(≒プロデュース)をも自ら行なっているので、
「アーティスト」的な側面も強い。
もちろんBTSにもプロデューサーがいて、
いろんな大人の思惑や政治的なあれこれがうごめいているのだろうが
彼らはそれから一定の距離を保って
自らの創作物のクオリティをコントロール、つまり「防弾」しているように見える。
(ここにはARMYの果たす役割も大きくあると思う。秋元康氏とのコラボ中止の件など)
長年ジャニーズを見ていると、
「ジャニーさん(をはじめとする大人)の意見は絶対」という
超絶独裁システムのもと作品がつくられているため、
アイドルというのは「いただいたものをどう表現するか」に徹する、
良くも悪くも非常に受動的な存在だと思っていた。
そのため柔軟性はかなりあるのだが、専門性には欠けるというのがジャニーズの惜しいところだと思う。
さて、話をBTSに戻して
ではどの点において「アイドル」なんだろうか。
『Magic Shop』(2018)では
「最高になりたかったんじゃなくて/癒やしと感動になりたかった」
と彼らは歌っている(『&Premium』4月号を参考に、要約してます)[3]。
「癒やし」と「感動」。
彼らをアイドルたらしめているのは、ここなのではなかろうか。
思えば、BTSのプロダクション・Big Hit Entertainmentのキャッチコピーは
「Music and Artist for Healing」である。
だからBTSは、ARMYに渾身の癒やしを与えるべく
種類豊富なオフィシャルMVやオフショットの公開、
ストリーミング配信動画によるファンとのコミュニケーションなど
さまざまな形で自身のいろんな一面を見せてくれる。
ビルボード1位アーティストとは思えない距離感で接してくれる親しみやすさこそが、
BTSが世界中の人々に愛される所以だ。
かくいう私も毎晩彼らの動画を見ながら「めんけ~」と唸っている。お世話になってます。
では、アイドルとしてのパフォーマンスに関してはどうだろうか。
K-POPアイドルはデビュー前の練習生期間に
軍隊式トレーニングと呼ばれるほど、歌/ダンスなどにおいてハードな訓練をすることで有名。
あのハイクオリティの歌とダンスが努力の賜物であることは、
一度見ただけでも容易に想像がつくだろう。
(先述の「感動」の部分は、このパフォーマンスのことなのではないかと解釈している)
一方ジャニーズはというと、
ジャニーズJr.がK-POPでいうところの練習生にあたる。
Jr.ももちろんレッスンがあるのだが、
基礎をみっちり固める練習というよりかは先輩のバックにつくコンサートのリハが主で
ひたすら場数を踏み、現場で&身体で覚え、先輩の背中を見て学びたまえ、というようなシステム。
そしてデビューするとさらに忙しくなるので基礎練をする暇などない。
そうしてできあがるのが、
「歌もダンスもそんなに上手くないけどアイドル性&エンタメ性はズバ抜けている」
というジャニーズアイドル像なのである。
(もちろん歌やダンスが上手いジャニーズもいます)
ここからは私の所感&嘆きだが、
今まではそのアイドル像でよかったのだ。
内需だけを求め、国内市場での成功のみでトップアイドルに君臨できたので。
ただ、今は事務所含めジャニーズタレント自身が世界を目指していると公言している。
(SixTONESはよくビルボードの話をする)
で、あればだ。
そこを目標とするのならば、今のままでは到底太刀打ちできない。
私はこの度初めてBTSをしっかり見て強く感じた。
どうかジャニーズに、基礎練をしっかりする修行期間が設けられますように。
改革するなら今! 今しかない。
だいぶ話が逸れたが、結局何が言いたいのかというと
BTSはジャニーズに比べると、「癒やし」と「感動」、すべてにおいて供給過多である。
過多すぎて日々あわあわしている。
(「こんなにいただいていいのですか…目と心臓が足りません」の意)
そしてそうした彼らからARMYへの惜しみない、かなりストレートな愛情表現こそが
BTSのアイドル性につながっているのだと思う。
そんなBTSがグラミー賞にノミネートされたことの意味はとてつもなく大きい。
私は今まで幾度となく「アイドル」であるというだけで下に見て、食わず嫌いをする人々を見てきたが
BTSは、上記のような圧倒的クオリティの作品を世に送り出し、
ARMYの心にしっかり届く強いメッセージを放ち続けることで
世界中で一目置かれる存在となり、
「アイドル」そのものへのバイアスを取り除くことに成功した。
(と、書いていたのが3/14未明、朝起きたらバズっていたBTSの記事に似たような記述があって「せやんな~」となった。研究者にARMYが多いというのにも大納得)
3.まとめ
ここまで、BTSの沼堕ちポイントについて
コアなヒップホップヘッズとしての一面と
限りない奉仕精神がもたらすアイドル性、
ズバ抜けたスキルで作り上げられる世界トップクラスのパフォーマンス
といった3つの側面から考えてみた。
こう見てみるとBTSというグループは、
沼堕ちさせる「とっかかり」が本当に豊富なんだなと思わされる。
気づいたら心を根こそぎ持っていかれてるんだから、心底恐ろしい人たちである。(褒めてます)
明日朝にはグラミー賞受賞者が発表されるが、
グラミー前夜にこんなに緊張しているのは久しぶりだ。
もしBTSがベストポップデュオ/グループパフォーマンス賞を獲ったら、
歴史的快挙オブ歴史的快挙である。
きっとアメリカにおけるAsianへのまなざしが変わる。
アメリカ史を少しでも知っている人ならば、これがどれだけ感慨深いことかご理解いただけると思う。
とまあ、これについてはまた次の機会に改めて書くことにしよう。
さて、『HOME』のパフォーマンス見て明日に備えよーっと!
おしまい
※出典※
[1]丸屋九兵衛「SoulとSeoulをつなげること ブラックミュージック専門家のK-POP論」『ユリイカ』(青土社、2018年)、70ページ。
[2]https://realsound.jp/tag/bts ,2021/3/15アクセス。
[3]「韓国カルチャーの言葉。」『&Premium』(マガジンハウス、2021年)、58ページ。