故きを温ねて新しきを知る —この春公開のブラック・ムービーをレビュー—

ついに、長く短い春休みが終わってしまいました、、

「長期休みは授業期間中にはできないことを!」と思い、
なるべく多くの映像作品(黒人にまつわるものから、そうでないものまで)に触れるように心がけておりました。

そんな春休み真っ只中の2月は、"African-American History Month"(黒人歴史月間)でした。
(そもそもこの年間行事の制定そのものに賛否両論あるようですが、虐げられた者たちの歴史を意識的に語りなおす作業は必要だと、私は思っています)

さらに、3月はアカデミー賞の授与式が開催されたこともあり、
日本の映画館ではアカデミー賞ノミネート作品から受賞作品まで、
様々な話題作の上映が相次ぎました。

そこで今回は、この春に劇場で公開された

  • 『ビール・ストリートの恋人たち』
  • 『グリーン・ブック』
  • 『ブラック・クランズマン』
                      (公開日順)

これら3作品の黒人映画(と謳われている?)についてレビューしていきたいと思います!
わたしは特段映画フリークというわけではないので、映画批評的見解ではなく、
あくまでも黒人研究に携わる立場から、黒人の表象について考えてみます。

それでは、スタート!

 

 

まず一つめ、『ビール・ストリートの恋人たち』

2017年、第89回アカデミー賞作品賞を受賞した『ムーンライト』の監督を手掛けた
バリー・ジェンキンスがメガホンをとったこの作品。

わたしこの映画すごく好きです。

『ムーンライト』同様、ジェンキンス監督の作風はどこか切ないというか、
胸をきゅっとつかまれるようなトーンが作品全体に響いている感じがします。

原題は " If Beale Street Could Talk "(「ビールストリートに口あらば」)。
熱心な公民権運動家でもあった黒人作家、ジェームズ・ボールドウィンの1974年の小説を映画化したものです。

恋人たちに訪れた過酷な運命。愛の試練は二人をどこに連れて行くのか
「赤ちゃんができたの」 1970年代のニューヨーク。ティッシュは19歳。恋人のファニーは22歳。幼い頃から共に育ち、自然と愛を育み、運命の相手を互いに見出した二人にとって、それは素晴らしい報告のはずだった。しかし、ファニーは無実の罪で留置所にいる。彼はティッシュの言葉を面会室のガラス越しに聞いた。小さな諍いで白人警官の怒りを買った彼は強姦罪で逮捕され、有罪となれば刑務所で恥辱に満ちた日々を送るしかない。二人の愛を守るために家族と友人たちはファニーを助け出そうと奔走するが、そこには様々な困難が待ち受けていた...。魂を試されるようなこの試練を乗り越え、恋人たちは互いの腕の中に帰ることが出来るだろうか。(公式HPより引用)

 


『ビール・ストリートの恋人たち』日本版本予告【本年度アカデミー賞 助演女優賞受賞!】

 
予告を見たらお分かりになるでしょうか、この映画、なんといっても美しいのです。
前作『ムーンライト』で、月明かりに照らし出された黒人の美しさを描き出したジェンキンス監督が撮っただけのことはある、です。
ジェンキンス監督は、「汚い」「野蛮」とのレッテルを貼られていた黒人の「美しさ」を描き直したいのだと思います。)
光、色彩、構図といった視覚的美のみならず、音楽もこれまた美しくてだね、、
それとさすがボールドウィン先生、一言ひとことの台詞も美しいのです。
この予告を改めて見直しただけで泣いたのはわたしだ、、。

さて、黒人の大量投獄(mass incarceration)が本格的に始まったのは
レーガン政権(80年代)以降と言われていますが、
無実の黒人が逮捕・投獄されるという問題がそれよりも前から存在していたことは、想像に難くないでしょう。
根底にあるのはもちろん人種差別ですが、そういった難しく重たいテーマを扱うときって、
社会的背景や因果関係の説明に重点を置くあまり、叙事的になりがちだと思うのですが、
この映画はとにかく登場人物の内面・心情を丁寧に描くことに特化しています。
それを描きつくすための、先述した「美しさ」なのだとすると、合点がいくなと。

最終的に事件の犯人をつきとめるとか、ファニーの行く末がどうなったとか、
無理に落とし込みすぎないところにも意味を感じました。
大事なのはそこじゃない、ということなのでしょう。
劇的なストーリー展開や派手さはないけれど、
辛辣で過酷な現実を愛で包み込むことによって、
いっそう、そうした現実の輪郭をシャープに描き出していました。
 
あまりにも素敵な映画だったので、原作も買ってしまった、、!
原作を読むのも楽しみだし、映画も早くもう一度観たい、、
 
 
続いて2作品め。
今年度のアカデミー賞作品賞に輝きました、『グリーン・ブック』です。
時は1962年、ニューヨークの一流ナイトクラブ、コパカバーナで用心棒を務めるトニー・リップは、ガサツで無学だが、腕っぷしとハッタリで家族や周囲に頼りにされていた。ある日、トニーは、黒人ピアニストの運転手としてスカウトされる。彼の名前はドクター・シャーリー、カーネギーホールを住処とし、ホワイトハウスでも演奏したほどの天才は、なぜか差別の色濃い南部での演奏ツアーを目論んでいた。二人は、〈黒人用旅行ガイド=グリーンブック〉を頼りに、出発するのだが─。(公式HPより引用)


【公式】『グリーンブック』3.1(金)公開/本予告

ちなみに、グリーンブックとは

 1936年から1966年までヴィクター・H・グリーンにより毎年出版された黒人が利用可能な施設を記した旅行ガイドブック。ジム・クロウ法の適用が郡や州によって異なる南部で特に重宝された。(公式HPより引用)

 とのこと。こんな本が必要になるくらい、南部の黒人差別は熾烈なものでした。

 

この作品の特徴は、「上流階級の黒人」と「下流階級の白人」という、
従来のステレオタイプ的属性(黒人は貧困層、白人は富裕層)とは逆の設定になっているところではないでしょうか。

加えて感心したのは、白人内の序列も取り上げているところ。
イタリア系白人のトニーが、非イタリア系白人警官からあからさまな侮辱発言を受けるシーンがあります。
肌が黒いというだけで「黒人」として一括りにして見なす「白人」たち自身にも、
一括りにはできない出自の多様性がある、ということを皮肉を込めて描たのでは、と思われます。

 

鑑賞後、何点か気になったところがあったのでメモ。

  1. トニーの心情変化(差別主義⇒非差別主義)の要因はなにか。
    ドクター・シャーリーのピアノに心を打たれる場面はいくつかあったが、ピアノなどの秀でた才能がない他の黒人だったら、なおも差別するのか?
  2. ドクター・シャーリ―が、差別の酷い南部に敢えて赴き、ツアーをしようとした動機はなにか。
    これを考えることでこの作品を観る意義が深まる気がする。ここにドクター・シャーリーの葛藤が窺えます。

 

この作品、アカデミー賞の数ある部門の中で最も重要な作品賞を受賞したわけですが、
なんでも、受賞そのものに対して論争が巻き起こっているようです。
以下の記事に詳しかったので、よければどうぞ。

theriver.jp

わたしはこの記事の論調におおむね同意します。

日ごろからブラック・カルチャーに親しんでいたりする人たちにとっては、
この映画は「生ぬるい」ものかもしれません。
人種差別をもっと痛烈に批判したスパイク・リー『ブラック・クランズマン』(後述します)の方が、
共感しやすいだろうし、評価に値するものなのかもしれません。

しかし、この作品の意義はドクター・シャーリーを演じるマハーシャラ・アリが簡潔かつ的確に述べてくれています。

 「観客の中には、(黒人である)スパイク(・リー)やバリー(・ジェンキンス)の映画は観に行かないという人もいるのが現実。その人たちは、(白人である)ピーター(・ファレリー、本作の監督)の映画なら笑わせてもらえるだろうと思って観に行くかもしれない。そして実際に爆笑させられ、でも、思いもしなかったことを考えることになるかもしれない。そこには価値があると僕は思う」(劇場用パンフレットより引用)

 そう、この映画は今まで人種差別のことなど考えたこともなかった人が、
そういったことを考える「入り口」やきっかけになりうるのです。
そこにこそこの作品の価値があり、アカデミー賞でも評価されたのでしょう。

主人公のトニー・バレロンガの実の息子、
ニック・バレロンガがプロデュースと製作に入っていることから、
そもそも、目的は父親の心温まる実話の映画化であって、
伝えたい主題の中心は人種差別ではないのかもしれませんね。

となると、「黒人」と「白人」という大きな枠組みでなはく
「ドクター・シャーリー」と「トニー」という個人どうしの関係性に
フォーカスしたことにもうなずけます。(先ほどの疑問1、大体解決)

 

とにかく、人種問題について考える「入り口」としては最適のこの映画、わたしは強くオススメします!
この映画で助演男優賞を獲得したマハーシャラ・アリの演技も最高なのでぜひ観てみてほしい!

 

 

 最後は、黒人映画界の重鎮スパイク・リーが監督を務めた『ブラック・クランズマン』です。

1970年代半ば、アメリカ・コロラド州コロラドスプリングスの警察署でロン・ストールワース(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は初の黒人刑事として採用される。署内の白人刑事から冷遇されるも捜査に燃えるロンは、情報部に配属されると、新聞広告に掲載されていた過激な白人至上主義団体KKKクー・クラックス・クラン>のメンバー募集に電話をかけた。自ら黒人でありながら電話で徹底的に黒人差別発言を繰り返し、入会の面接まで進んでしまう。騒然とする所内の一同が思うことはひとつ。
KKKに黒人がどうやって会うんだ?
そこで同僚の白人刑事フリップ・ジマーマン(アダム・ドライバー)に白羽の矢が立つ。電話はロン、KKKとの直接対面はフリップが担当し、二人で一人の人物を演じることに。任務は過激派団体KKKの内部調査と行動を見張ること。果たして、型破りな刑事コンビは大胆不敵な潜入捜査を成し遂げることができるのか―!?(公式HPより引用)


『ブラック・クランズマン』本予告・第91回アカデミー賞®︎ 脚色賞受賞!

 

スパイク・リー」の名はヒップホップヘッズなら一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
本作も「さすが!」の一言でした。
ユーモアを効かせながらシリアスなテーマを扱うのが本当に上手!

リーの映画、そして黒人史や黒人文化に対する造詣の深さは凄まじく、
膨大な情報量と仕掛けの数々は一度見ただけでは消化しきれませんでした、、

なのでこの際、あまり多くは語らないことにしようかと思います!(笑)
「観ればわかる」、「観ないとわからない」、これに尽きる、、。

 

でも、やっぱりそれじゃあ本末転倒な気もするので、
観た人にしかわからないであろうわたくしの感想を
以下に箇条書きでまとめさせていただきます。

  • 単純な「白人」vs.「黒人」の構図にしない
    (かといって『グリーン・ブック』のように個人の問題に矮小化することもない)
  • KKKという、他に類を見ない差別主義団体の内側に迫ることで、今までの黒人映画ではあまり描かれなかった(のでは?)「差別する側」の内部を描いている
  • そのKKKが標榜する「ホワイト・パワー」とブラック・パンサー党が掲げる「ブラック・パワー」を並列することで示唆を与えている(本質的な違いはあるのか)
  • ユダヤ人差別にも触れている
  • 本作はツウな層にもそうでない層にも響く作りになっている(今までのリーの作品はもっとわかりづらいイメージだったので)
  • ラスト、とにもかくにもラスト(この作品の主題がラストシーンでわかる)

こんなところでしょうか、。

いやあ、すごいなあスパイク・リー、、。
これだけ語りたくない映画というのも珍しい。
これはもうね、みなさん、騙されたと思っても思わなくてもいいので
ぜひ劇場に足を運んで観ていただきたいです。(まだギリやってるかな?)

 

 

以上で3作品のレビューが終わりました。
いかがでしたでしょうか。

「どれが一番いい」とかではなく、三者三様、それぞれの良さがあると思います。

偶然にも?60~70年代という同時代を扱っていることもポイントかなと。

現在の出来事を深く知る手段のひとつは、史実に目を向けることだと思っています。
過去から学ぶことで、未来をよりよくできるはず!
だからわたしは学ぶのである!

よし。新学期に向けていい宣誓ができました。
修士2年目も研究頑張ります~~!

 

おわり