ヒップホップにとっての90年代を考えよう ―ゴールデン・エラの真相―

この春休みはブログをまめに更新することが目標です。アカネです。
といっても前回の記事から一か月くらい経ってるんだね、、
あの、思ったよりも反響があって、本当にとっても嬉しいです。
これをもっと知りたい、こんなんだったら読むんだけどな、
などありましたらぜひ教えてくださいね!

 

さて、今回は「90年代」という時代にスポットを当てて、考察してみたいと思います。
(ここでの「90年代」とは、先行研究や参考文献に則り80年代後期~90年代を指すこととします)

なぜ「90年代」なのか?
それは、どのヒップホップガイドブックを見ても、どのディスクレビューをめくっても、
「ヒップホップにおける90年代=ゴールデン・エラ(またはゴールデン・エイジ)」
という言説があまりにも多いからである!

 

95年生まれの自分にとって、「90年代」は物心ついた時にはノスタルジックな過去の出来事となっていました。
いかんせん「ゴールデン・エラ」感をリアルに体感していないので、
「90年代は黄金期」「華の90s」との批評を鵜呑みにしてしまっている節がありました。
「ヒップホップ好きなら、ましてや研究するなら、
あの光り輝く90年代を、肌で、いや五感すべてで感じたかった、、」
(同世代のヒップホップヘッズのみなさまには共感していただけるはず)

 

そんな思いが拭えぬまま大学院に入学し
ヒップホップ研究者の卵として歩みはじめた私は、ある疑問を持つようになります。

「90年代って本当にゴールデン・エラなのだろうか?」

今回はこれを検証してみようと思います!いざ!

 

 

まずは、ヒップホップにとっての90年代がどんな時代だったのかおさらいしましょう。

 

  • "Yo! MTV Raps"がスタート(1988年9月)、全米各地のお茶の間にヒップホップが
     それまで、チャートインするヒップホップミュージックはニューヨークを中心とする東海岸の専売でした。"Yo! MTV Raps"は世界初のヒップホップ専門チャンネルとして、アーティストのMVやインタビュー、ライブ、セッションなどを毎日(!)放映していました。
     MTVは1981年に、MVを24時間流し続けるチャンネルとしてスタートしましたが("Yo!~"が始まるまでは黒人アーティストが取り上げられることはほとんどありませんでした、ロックやポップスが中心)、"Yo! MTV Raps"の斬新性は、MVの放映のみにとどまらず、スタジオライブやセッションを行なったり、スタジオを飛び出してアーティストへの密着取材を敢行したりしたところにありました。現代のようにインターネットがあまり普及していない時代だったため、この番組はヘッズたちの貴重な情報源だったと言えます。
    ("Yo! MTV Raps"のドキュメンタリーを発見しました!英語かつ字幕なしですが、当時の雰囲気が伝わると思うので興味のある方はどうぞ)

    youtu.be


    この番組は瞬く間に人気を博し、アメリカだけでなくヨーロッパ、アジア、ラテンアメリカでも放送され、ヒップホップの認知度を跳ね上げさせる一助となります。日本にヒップホップシーンなるものが形成され始めたのもこの頃ですね。
    そして、認知度の上昇に伴いヒップホップカルチャーへの参与者(=プレイヤー、ヘッズなど)が増加します。人口が増えると当然、アーティストの多様性も増していきます。ギャングスタ、ナード、コンシャス、ポリティカル、フィメール、チカーノなど、ここではそれぞれのアーティストがもつ「特性」「独自性」「スタイル」などを指すこととします)

 

  • "The Source"誌創刊(1989年8月)、ヒップホップ批評の土壌が形成される
     前回の記事でもちょこっと登場した"The Source"。

    学内の時事通信としてスタートしたThe Source はマイクの本数(5本が最高)で評価する辛口ディスクレビューで名を馳せ、瞬く間に全国区の雑誌へと上り詰めます。

    この1年を振り返ろう ―「ヒップホップ=黒人文化」神話について― - t o n e o f d a w n

     それまで批評らしい批評が存在しなかったヒップホップ界にとって、この信頼性抜群なマガジンの登場は、それ以降のこの文化の発展にとって欠かせないものとなりました。批評とはつまり、作品の受け手と作り手の他に第三者の観点が加わるということであり、そうした土壌ができあがることによって、受け手(消費者)/作り手(生産者)の両者は、第三者による批評をもとに消費活動ないし生産活動をするようになり、シーン全体に「緊張感」という新たな風を吹き込みました。(「見られてる!」と思うとちゃんとやるようになるよネ)
     "The Source"という権威ある批評誌の存在は、作品のクオリティを維持あるいは向上させることに貢献したのです。

 

  • CDバブルの時代
     90年代はとにかくCDが売れました。日本でも、私がヒップホップに埋没するきっかけとなったモーニング娘。(これについてはまた別の機会に、、)は、メジャーデビューをかけて5日間でCDを5万枚売りきっています。しかも手売り!今では考えられないですね。日本レコード協会の統計によると、2018年12月のCD売り上げ合計は11,123枚。その約5倍の枚数をたった5日で売ったという事実は、単に当時のモー娘。の人気や勢いを証明するだけではなくて、それだけみんなCDをよく買っていた、ということの現れでもあると思うんですね。
     といったように、CDがバカ売れした90年代は、アメリカにおいてもヒップホップ・レーベルが乱立します。レーベルがたくさんあるということは、作品がたくさん作られ、それをたくさん流通させられるということです。そしてそれらを可能にするのは、先述したCDの好景気です。CDの消費活動が盛んになることによって、ヒップホップにも多作&多発の時代がやってきました。

 

もちろんこれが全てではないことに留意しつつも、
90年代の特徴をざっくりとおさえてみました。

さて、それでは、これらの事実知名度&人気の上昇、スタイルの多様化、批評の確立、CDバブル)から何が言えるでしょうか。

ひとつ前の記事の【生産 / 創作】【流通 / 普及】【消費 / 受容】の3つの観点で考えてみると、
90年代はこの3領域が一気に大きくなった、
つまり、アーティスト人口、レーベル、リスナー、それぞれが爆発的に増えた時代と言えます。

 

ここで注目したいのは、多種多様なスタイルの登場です。

"Style Wars"という黎明期のヒップホップシーンを描いたドキュメンタリー映画のタイトルが示すように、この文化における「スタイル」とはいくら強調してもし足りないくらい重要なものであって、「他人とは違うスタイルを極めること」ことこそが「フレッシュ」であり「クール」と見なされる世界なのです。そんな世界であるからこそ、日ごとに新たなスタイルをもつアーティストが現れ、その独自性を競い合う慣習が生まれたのでしょう。
「フレッシュであること」が何よりも重んじられるヒップホップの世界において、
「パイオニア」や「開拓者」、「元祖」などといった肩書きは相当な価値をもちます。

数多の新たなスタイルが確立された90年代に
こうした肩書きのアーティストが多いのは ある種当然といえば当然であり、
ここに 90年代がゴールデン・エラと呼ばれる所以があると考えます。

 

それで。私は声をやや大にして言いたい。

「今はゴールデン・エラじゃないのか?」

ちょっと現行のヒップホップシーンを見てみましょう。

  • 最も聴かれたジャンルとしてヒップホップ/R&Bがロックを上回った(2017)
     データ調査会社のニールセンは、2017年に音楽ストリーミングサービスで最もよく聴かれたジャンルはヒップホップ/R&Bであると発表しました。同ジャンルが1位となるのは初めてで、それまではロックがトップでした。
     また、年間売り上げトップ10アルバムのうち7作品がヒップホップ/R&Bでした。

  • Kendrick Lamar、ピューリッツァー賞受賞(2018)
     ピューリッツァー賞とは、年に一回コロンビア大学が授与する、アメリカの報道,文学,音楽の各分野におけるめざましい公益への貢献や業績に対して贈られる賞。ジャーナリズムの発展を目指して設立された、アメリカの中でも最も権威ある賞の一つです。同賞音楽部門をクラシックやジャズ以外のアーティストが受賞するのは今回が初めて。しかもそれがヒップホップの作品であったことから、受賞当時は一大ニュースとして報道されました。

  • Childich Gambino、グラミー最優秀レコード賞&楽曲賞、ダブル受賞(2019)
     これはみなさん、記憶に新しいのではないでしょうか?昨年、日本でもMVが話題になった"This Is America"。長いグラミー賞の歴史のなかでも、ヒップホップが同賞を獲得するのはいずれも初の快挙です。


以上の3つの例以外にも、近年のヒップホップの飛躍を表す事象は数多くある(ホットな話題だと、ヒップホップの4大要素の一つであるBREAKIN'がオリンピック競技の候補となっていますね)ことを鑑みると、
現代もヒップホップのゴールデン・エラである、ということができるのではないでしょうか。

 

 

こうして考察を深めていく中で、私はあることに気がつきました。

私は、「ゴールデン・エラ」という言葉の使われ方に違和感があったのかもしれません。
「ゴールデン・エラ」には「その時代の後は失墜あるいは衰退した」というようなニュアンスが含まれると思うのです。

つい最近出版されたばかりの『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門』では、
90年代を「カンブリア爆発」と表現していて。

カンブリア爆発カンブリア紀の初頭、約5億4千万年前から5億年前頃に、今日見られる動物の多くが一気に出現した現象。(出典:デジタル大辞泉

ま、まさに!90年代はヒップホップにおけるカンブリア爆発!言い得て妙!
これから「ゴールデン・エラ」とか「ゴールデン・エイジ」とか言うのはやめて、
カンブリア爆発」に統一したらいいんじゃないかと思うくらいだ、。

 

さて、今までの流れをまとめると

  1. 90年代も現代もゴールデン・エラ
  2. 90年代に特化した表現は「カンブリア爆発

以上の2点を結論としていうことができると思います。

 

 

というわけで、冒頭でもちらっと触れたように
今回は私の90年代への執着、未練、ジェラス、コンプレックス、
その他諸々の呪縛に端を発した記事となりました。(笑)

それと同時に、この記事を書いたことで90年代への愛着がさらに増した気がします。
疑問も晴れて、愛をも生むことができるなんて、、知の探究とは尊いね、。

 

いやはや、語りだしたらキリがない!
今回も今回とて長文になってしまった、、

最後までお読みいただいたみなさま、本当に本当にありがとうございますm(__)m